沿革

 兵庫県宍粟市は4つの町(宍粟郡山崎町・同一宮町・同波賀町・同千種町)が平成17年4月1日に合併し、誕生しました。
 奈良時代に編纂された「播磨国風土記」によると、7つの里をもって宍禾郡(しさはのこおり)として建郡され、風土記に記された播磨の国の開拓神「伊和大神」の本拠地である歴史と伝説のふるさとであり、古代からの遺跡をはじめ、南北朝時代から戦国時代にかけての史跡や伝統的な祭り、また、神話・伝説なども多数残されています。

山崎町

山崎町の街並み

江戸時代には池田輝澄により山崎城と城下町が造られたことを端緒として、城下町として発展を見せ、地域独自の歴史・文化が築かれてきました。また、古くから当地域の経済、文化、交通の中心として重要な役割を果たしてきました。

一宮町

御形神社外観画像

県下でも検出例の少ない縄文時代から中世にかけての大規模な複合遺跡、竪穴式住居による家原遺跡が発見されるなど、兵庫県の縄文時代の指標ともなる重要な遺跡や国重要文化財の御形神社などの歴史・文化遺産を数多く有しています。

波賀町

波賀城外観画像

平安時代には、京都石清水八幡宮の荘園として組み入れられ、十三世紀より町名の由来となった波賀城を天正13年(1585年)まで構え、歴史・文化が築かれてきました。

千種町

千種町にある遺跡画像

古代以降明治期まで産出し主として日本刀の原材料として名声をはせた「千種鉄」や「たたら製鉄所」の遺跡が町内のいたる所で見られるなど、和鉄の郷として繁栄してきました。

宍粟市誕生の経緯

平成12年4月の地方分権一括法の施行により、今後は、国から地方へと一定の権限や財源が移譲され、地域のまちづくりは、住民と行政が自己決定・自己責任を基本原則として進めていくという、新たな行政システムの構築が求められるようになりました。

そうした背景には、少子高齢化といった人口構造の変化や、住民の生活圏の拡大、価値観やライフスタイルの変化等に伴い、住民の行政に対する施策要望も多様化・高度化してきており、全国一律でなく、各地域の実情や特性に応じて、適切な自治体経営が求められている状況があります。

山崎町、一宮町、波賀町、千種町の4町においても、この様な課題に対応していくための有効な手段と考えられる市町村合併について議論を進めてきました。特に、広大な中山間地域を抱える当地域にあって、限られた財源を有効に活用し、住民サービスの低下を抑制していくためには、道路、情報網をはじめとする基盤整備や、各種住民サービス提供のための体制づくりを、これまで以上に広域的な視点から、計画的に進めていくだけでなく、行政からの積極的な情報の開示により、住民一人ひとりが施策決定に積極的に参加し、行政とともに自ら地域社会の維持・発展のために取り組んでいく姿勢が不可欠となっています。

4町は、播磨国風土記の時代より、宍禾郡(しさはのこおり)をふるさととする郷土愛と連帯感を育んできました。また、豊かな水や森林を有する自然環境が、地域の共通する魅力であり、人々はこれを守り、様々な活動の場として受け継いできました。平成元年には“人と自然の共生に基づく環境適合型しそう森林文化の創生"を理念とした「しそう森林王国」を建国し、さらに平成4年には兵庫県との間で「県民オアシス―しそう森林王国― の形成に関する県民協定」を締結し、「しそう」全体が県民のオアシスとされるなど、広域的な役割も大きく期待されています。

このようなことから新市を目指す4町は、まちの主役である住民のまちづくりへの主体的な参画と協働を基本に、各町が持っているそれぞれの地域の恵み(自然等)や知恵(人材、文化、産業等)といった資源を総合的に活用しながら、私たちのふるさとをより一層元気で魅力あふれる地域にしていかなければなりません。私たちは、この機会を自立の一大好機と捉え、合併により、4町のこれまでの歴史的背景を大切にしながら新しい取り組みを創造し、さらなる住民の幸せを希求し、住民一人ひとりが「住んでよかった」、「いつまでも住み続けたい」という願いを、まさに4つ葉のクローバーに託し、新しい市「宍粟市」としてスタートしました。

宍粟市誕生

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