常設展示室

更新日:2019年03月15日

宍粟市一宮町は、兵庫県の西北部に位置し、揖保川の清流と豊かな森林に囲まれています。この地は、古来より播磨地方と但馬・因幡地方を結ぶ交通の要衝として重要な役割を果たしてきました。一宮町内には、播磨国一宮伊和神社や、国指定重要文化財の本殿を持つ御形神社をはじめ、多くの歴史遺産を今に伝えています。また前方後円墳を含む伊和中山古墳群や、縄文時代から中世にいたる大規模な複合集落跡である家原遺跡などが発掘調査により明らかになりました。
歴史資料館では、家原遺跡を中心に町内の遺跡出土物や資料を展示しております。一宮町の歴史・文化の一端に触れていただければ幸いです。

円柱の展示台が4つ中央に並んだ展示室の写真

常設展示室入室料

常設展示室入室料
 一般(高校生以上) 個人300円、団体(20人以上)250円
 小中学生 個人150円、団体(20人以上)100円
 小学生未満 無料

宍粟市に住所を有する65歳以上の人

個人半額、団体(20人以上)130円

「ひょうごっ子ココロンカード」

「ひょうごカルチャーパス」

無料

身体障害者手帳、精神障害者保健福祉手帳、

療育手帳等をお持ちの人

および介護の人1名まで

半額

展示品紹介

縄文時代

発掘された焦茶色のひび割れた縄文土器の一部の写真

縄文土器深鉢(福野遺跡)

縄文時代の人々は弓矢を使い狩りを行い、土器を作り煮炊きをするようになりました。一宮町の主な遺跡としては、家原遺跡・福野遺跡・森添遺跡で竪穴式住居跡が見つかっています。表面には縄目のほか渦巻き形などの文様が付け られています。

福野遺跡からの出土品は土器の他 に打製石斧等を展示しております。

弥生時代

黒く錆びた鉄剣の写真

磨製石剣(伊和出土)

弥生時代になると米作りの技術が伝えられ、金属の道具が使用されるようになりました。鉄製の剣を模して作られた石の剣で、表面を丁寧に磨いて刃が研ぎだされていますが、基部の両側に孔の痕跡があるため、壊れた石製武器を再利用した事が判明しました。

古墳・飛鳥時代

グレーのシミがついている黒い円盤型のT字鏡の写真

仿製方格T字鏡(伊和中山1号墳出土)

古墳時代になると地域の首長たちは古墳を盛んに築くようになります。伊和中山1号墳は前方後円墳で、竪穴式石室からは銅鏡1面をはじめ、素環頭大刀・鉄剣・鉄槍・鉄鏃・勾玉・管玉・竪櫛などが出土しました。

奈良・平安時代

下の角が丸みのある逆三角形の茶色の製塩土器の写真

製塩土器(家原遺跡出土)

飛鳥・奈良時代の地方には、行政組織として国・郡・里が置かれていました。藤原京や平城京からは、宍粟郡の地名の記された木簡が出土しております。製塩土器は、瀬戸内海沿岸の塩の産地で使用し、家原遺跡まで運んだものです。

鎌倉~安土桃山時代

黒に近い茶色の細い円柱型の経筒の写真

銅製経筒(瀧ノ内経塚出土)

中世の一宮町域には、三方(東・西)庄・神戸庄・染河内・安積保と呼ばれる庄園が置かれていました。家原遺跡や生栖遺跡で発見された掘立柱建物群は、三方庄(東)に関係する施設と考えられます。伊和瀧ノ内では、弥勒仏が出現する56億7千万年後まで経典を伝えることを願い、鎌倉時代に経塚が築かれました。

江戸時代

短冊形に折り目のついたベージュの紙の上半分に5行ほどの本文が書かれた御内書の写真

徳川吉宗御内書

一宮町は、江戸時代のはじめには池田氏の支配を受けていましたが、延宝7年(1679年)に本多忠英が山崎藩主となった時に、町域の村すべてが幕府直轄領(天領)となり、その後一部の村は、三日月藩 ・安志藩・尼崎藩に分かれて支配されることになりました。この史料は徳川吉宗が安志藩主小笠原長興に宛てたもので、長興からのお歳暮が届いたお礼を松平信祝に述べさせる旨を伝えています。

この記事に関するお問い合わせ先

宍粟市歴史資料館
〒671-4113
宍粟市一宮町三方町633番地
電話番号:0790-74-8855
ファックス番号:0790-74-8080

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